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歴史クイズの答えと解説
安房武士団の小径

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◆クイズの答えと解説
1. 諏訪神社 スワジンジャ
問題
諏訪神社の山車はどこから買ってきたものでしょう?
A. 京都 B. 神田 C. 鎌倉
正解:B. 神田
諏訪神社
社伝によると、南北朝の頃信州高梨郷より鴨川に移住した人達が諏訪社を勧請したことに始まると伝えています。1779年に社殿が建てられるなど、新田開発が盛んになった江戸後期に整備が進んだ神社です。山車も、祭りの時に千代田城に入っていた神田の山車を購入したものです。覆屋の中で外から見えませんが、神殿の向拝龍は初代伊八の作です。近年、漆喰に塗り込められてしまいましたが、漠等の彫刻も伊八の可能性があります。

2. 後広場古墳群 ウシロヒロバコフングン
問題
後広場古墳群を形成している2号墳の直径はおおよそどのくらい?
A. 約10m B. 約20m C. 約40m
正解: C. 約40m
後広場古墳群
後広場の砂丘上に、5つの古墳があったことが知られています。このうち、現在、塚として見ることができるのは後広場2号墳だけです。畳で70畳の円墳と、群集墳としては大きな古墳です。海岸と東条の水田地帯を見渡せる位置につくられた、「長狭の王」の奥津城とみることができます。早くから東条の水田と開運が開発され、地方の豪族が育っていたことを示します。土木工事中に1号墳から検出された舟形石棺は珍しいものです。

3. 根方上の芝条里跡 ネカタウエノシバジョウリアト
問題
条里跡はいつ造られたものでしょう?
A. 奈良時代 B. 鎌倉時代 C. 江戸時代
正解:A. 奈良時代
根方上の芝条里跡
条理制は、奈良時代に口分田を管理するために造られた水田等の区画割りです。現在便宜的に、根方上の芝条里跡と中原条里跡に分けて呼んでいますが、奈良時代から東条地区一帯は奈良時代から整然と区画された水田が続いていたことを示しています。見渡す限りの水田景観は、奈良時代からの歴史に裏打ちされた景観といえます。
圃場整備にともなう発掘調査で、当時の役所と思える遺構も検出されています。

4. 中原条里跡 ナカハラジョウリアト
問題
条理を耕していた人々の集落はどこにあったのでしょう?
A. 条理の中 B. 条理周辺 C. 丘の上
正解:B. 条理周辺
中原条里跡
発掘調査結果および遺跡分布調査結果から、条理を耕していた人々は条理周辺の微耕地に住んでいたと推測されます。圃場整備の時に、奈良時代の東条地域の姿をみえる形にできるような発掘調査をおこなわずに破壊したためため実態を明確にできなくなりましたが、現在分かる断片をつなぎ合わせると、市役所周辺および広場の砂丘地帯、山際、および河川に沿った微耕地に集落が造られていたことが明らかになっています。

5. 鏡忍寺 キョウニンジ
問題
鏡忍寺の名は何をとったものでしょう?
A. 地名 B. 人名 C. 仏具
正解:B. 人名
鏡忍寺
1264年11月11日に、日蓮が天津城主工藤吉隆の招きを受け、蓮花寺から天津に向かう途中の小松原で東条景信に襲われ、鏡忍ら日蓮の弟子3名と工藤吉隆が死傷し、日蓮も額に傷をおいました。日蓮の弟子となった工藤吉隆の遺児日隆が1281年に、この小松原の法難の地に建てたのが鏡忍寺です。

県指定有形文化財富木殿御書
市指定有形文化財向唐門、木造阿弥陀如来坐像、祖師堂の彫刻県指定天然記念物降神の槇

6. 上人塚 ショウニンヅカ
問題
塚の上に建っている供養塔の様式は次のどれでしょう?
A. 下総型板碑 B. 宝篋印塔 C. 五輪塔
正解:C. 五輪塔
上人塚
日蓮の小松原法難で殉死した工藤吉隆を葬った地に、後世の人々が塚を築いたといわれています。今は一辺が6mほどの塚ですが、道路工事等で削られる前は17m四方の大きさでした。現在、道に塚が張り出したような格好ですが、江戸時代の絵地図にも塚をまわるように道が描かれています。塚の上に鏡忍寺23世住職の日長が1768年に立てた、「日玉聖人」「日降聖人」「日暁聖人」と刻んだ碑がみられます。

7. 西郷氏館跡 サイゴウシヤカタアト
問題
西郷氏の支配地は何藩と呼ばれたでしょう?
A. 長狭藩 B. 東条藩 C. 鴨川藩
正解:B. 東条藩
西郷氏館跡
1620年に下総国生実を知行していた西郷正員が、それまでの倍に加増され、長狭・朝夷を領分とする一万国の大名となって赴任してきました。陣屋を東条村に構えたことから、東条藩と呼ばれました。 1975年に行われた発掘調査で、宝性寺から幅4m、深さ2mの堀で囲まれた陣屋跡が検出されました。什器、折敷、下駄、羽子板など、陣屋での生活をうかがう遺物が出土しています。

8. 東条氏館跡 トウジョウシヤカタアト
問題
東条氏の職位は何だったのでしょう?
A. 守護 B. 地頭 C. 国司
正解:B. 地頭
東条氏館跡
宝性寺の西郷氏館跡の発掘調査で、下の層から堀に囲まれた中世の遺構が検出され、地頭であった東条氏の館跡との見解が示されました。しかし、永明寺の寺伝、遺構の形状、および遺物の内容から、宝性寺で検出された遺構は東条景信が建てた寺跡の一部である可能性が強く、館跡と断定できません。むしろ、以前から東条氏館跡とみられてきた地域はカワラケ等の散布量が卓越していることより、ここに館跡が遺存していると考えられます。

9. もうけ神社 モウケジンジャ
問題
東条御厨は誰に寄進した荘園でしょう?
A. 伊勢神宮 B. 春日大社 C. 出雲大社
正解:A. 伊勢神宮
もうけ神社
源頼朝が1184年に東条郷を伊勢神宮に寄進していますが、その東条郷の中心が「東条もうけ」でした。「東条もうけ」はすでに、頼朝が1182年に近隣の神社仏閣に妻政子の安産祈願をさせたなかの一つとして『吾妻鏡』に記されていますが、「東条もうけ」が現在の天津神明神社なのか、西町のもうけ神社なのか判然としません。
(「もうけ」の字は广に寺)

10. 室戸城跡 ムロトジョウアト
問題
室戸城は誰の城だったのでしょう?
A. 長狭氏 B. 東条氏 C. 正木氏
正解:B. 東条氏
室戸城跡
東条氏は、室戸城を本城に、金山城を支城に使っていたと伝えられています。今は鬱蒼とした山林で様子をつかむのが容易でありませんが、崖線で切り立った面を活用し、さらに段切りをして腰曲輪をまわしています。鎌倉時代の城は「逃げ城」で、平時は住んでいませんし、柵をまわす程度ですが、海からの侵略にも、陸からの侵略にも対応できる要所にあります。鶴見城、中台峰城は、室戸城と一体で機能したものと考えられます。




【史跡分類マークの説明】 国指定特別天然記念物国指定特別天然記念物 国指定天然記念物国指定天然記念物
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