◆クイズの答えと解説
1. 花房藩庁跡 ハナブサハンチョウアト

「花房藩」は何年続いたでしょう?
A. 2年
B. 10年
C. 20年
正解:A. 2年
明治政府が徳川亀之助の領地を遠江国につくるのことになったため遠江国横須賀藩主西尾忠篤が玉突的に国替えとなり、1869年3月に鴨川に移り花房藩と呼びました。藩庁は横渚にあった岩槻藩取締出張所をあて、藩校修道館もつくっています。しかし、1869年2月に廃藩置県によって花房藩は無くなり花房県となりました。さらに11月には木更津県に、そして1873年には千葉県に統合されました。花房藩庁跡は動乱期の鴨川を象徴する史跡です。
2. 熊野神社 クマノジンジャ

熊野神社にはどんな伝説が伝わっているでしょう?
A. 天狗伝説
B. 白蛇伝説
C. 菊姫伝説
正解:B. 白蛇伝説
1575年に紀伊国熊野神社を勧請して創建した神社で、長狭郡一宮総社権現と呼ばれたと伝えられています。永禄年中に里見義弘が神地として30石の寄進をしていますが、徳川幕府の里見氏改易にともない没収されています。伊勢参りの道で出会った白蛇に一緒に来ることを誘ったところ、熊野神社にその白蛇がいたという伝説が伝わっています。
3. 日枝神社 ヒエジンジャ

日枝神社がのる高台の成因は何でしょう?
A. 砂丘
B. 残丘
C. 人造
正解:C. 人造
日枝神社が祀られている標高約10mの高台は、1604年に発生した慶長の大津波の被害を教訓に、前原の住民達が津波避難所として築いたものです。1703年に発生した元禄の大津波で、漁業と商業で栄えていた海岸集落の前原は600軒ほどの家屋が流出し、900人余りの犠牲者を出すという大被害を受けましたが、日枝神社の高台に登った人は助かったと伝えられています。元禄大津波のあと、再度盛り土が行われました。
4. 石見堂 イシミドウ

巡礼者が着ていたものは何でしょう。
A. 法衣
B. 袴
C. 笈摺
正解:C. 笈摺
江戸時代以降盛んになった巡礼では、巡礼者は笈摺りを羽織り、手甲・脚絆をつけ、傘をかぶり、金剛杖に数珠や鈴を持ち、札所ごとに定められた御詠歌を詠いながら歩きました。石見堂は安房三十四箇所観音巡礼の十八番札所です。
石見堂 参りて沖を ながむれば ふねに宝を 積むぞうれしき。
5. 香指神社 カザシジンジャ

本神社には誰の子供の簪が奉納されているといわれているでしょう?
A. 源頼朝
B. 畠山重忠
C. 足利基氏
正解:B. 畠山重忠
曽呂にある二子という地名は、畠山重忠が当地の畠山四郎右衛門の家に逗留していた時に、娘との間に女の双子が生まれたことに由来しているという話が伝わっています。この双子の簪を香指神社に納めたといわれています。香指神社は海岸に近い所にありましたが、元禄の大津波の被害を受け現在の場所に移転しました。
境内に中世の宝篋印塔の一部が置かれています。
6. 仁右衛門島 ニエモンジマ

源頼朝が仁右衛門島に隠れたのは誰の襲撃情報によるでしょう?
A. 三浦義澄
B. 土肥実平
C. 和田義盛
正解:A. 三浦義澄
1180年9月3日に石橋山の戦いから敗走した源頼朝が貝渚の網元八兵衛の家に泊まることになったが、三浦義澄が長狭常伴襲撃の報をもたらしたため仁右衛門島に逃れたといわれています。頼朝は、島を去る時に、平野の姓と島の所有および漁業権を与えたといわれています。以後、島主は代々仁右衛門を名乗っています。島内には頼朝が隠れたといわれている隆起海蝕洞や、日蓮が朝日を拝んだ岩が残っています。
7. 天面賽の河原 アマツラサイノカワラ

賽の河原信仰は仏教のどんな信仰が基本になっているでしょう?
A. 観音信仰
B. 地蔵信仰
C. 十王信仰
正解:B. 地蔵信仰
賽の河原信仰は、死後の世界に旅立った子供が恋しい父母のために小石を積んで塔をつくろうとするが鬼が来て崩してしまいいつまで経ってもできないのを、地蔵菩薩があらわれて子供を救うという信仰で、仏教の地蔵菩薩信仰と民間信仰の塞の神信仰の習合で成立した信仰と考えられています。
天面賽の河原(西院の河原)は小さな祠でしたが、奉納された地蔵の数が増えたため現在の隆起可食洞穴に場所を移しています。天面賽の河原は、両墓制の埋墓である海辺のたちばとの関係を強く持っています。
8. 西徳寺 サイトクジ

西徳寺は別名何と呼ばれているでしょう?
A. 天面本願寺
B. 天面善光寺
C. 天面新勝寺
正解:B. 天面善光寺
西徳寺は1604年の慶長の大津波の被害で建物が流出したが、1606年に長空が忠興開山しました。やはり慶長の大津波で堂于が流された法幢院に安置されていた銅造阿弥陀如来立像および両脇持立像が、西徳寺に移されたと伝えています。これは長野の善光寺の本尊を模して南北朝から室町期につくられたものです。

銅造阿弥陀如来立像・両脇持立像
9. 岩屋山波切不動・名馬橋 イワヤヤマナミキリフドウ・メイババシ

源頼朝が太夫崎の洞穴で見つけたといわれている馬は何という名前でしょう?
A. 白
B. 黒
C. 峰
正解:B. 黒
鴨川には多くの源頼朝にかかわる話が残っています。頼朝が太夫崎に来た時に、岩に蹄の跡がついているのを見て近くに馬がいるに違いないと思ったところ、洞穴で馬をみつけたがそれが名馬磨黒だったという話も、満騎坂や旗掛け松の伝説と同様、単なる昔話として良いものです。頼朝に係わることで史実を伝えているのは仁右衛門島だけといって過言でありません。ただ、伝説を史実と切り離して、頼朝伝説をたずねるのも一興です。
10. 根古屋砦跡・浄照寺 ネコヤトリデアト・ジョウショウジ

鴨川の城跡の特徴は何でしょう?
A. 天守閣
B. 平城
C. 港城
正解:C. 港城
江見の半独立丘である九頭竜の山は里見氏関連の城跡といわれています。枡形の木口、空堀と土塁による郭と腰曲輪など、城全体の姿を良く保存しています。海岸線の往来をおさえるだけでなく、海上交通の要所をおさえるのは鴨川の城の一つの特徴ですが、根古屋砦跡もそうした港城と考えられます。海寄りに「小舟附」「大舟附」の子字や、江見村の海岸集落が里見水軍の一翼を担っていたことを示すとみられる文書が残っています。
11. 石尊神社 セキソンジンジャ

高鶴山に伝わる民話は何でしょう?
A. 人魚伝説
B. 龍王伝説
C. 天狗伝説
正解:C. 天狗伝説
天狗伝説が伝えられている鴨川の山の神社には皆天狗の面がありましたが、現在ではほとんど残っていません。嶺岡山は天狗伝説の宝庫で、人の食料をねらった話が多く伝えられていますが、高鶴山の天狗は悪さをしたという話でなく、人が天狗を捕まえようとしたが捕まらないので、追い出すために山に火をつけたところ天狗は姿を消し、不幸な事件が続いたので、山の頂きに祠を建てて天狗を供養したという話です。
【史跡分類マークの説明】

国指定特別天然記念物

国指定天然記念物

県指定有形文化財

県指定無形文化財

県指定天然記念物

県指定史跡

県指定名勝

市指定有形文化財

市指定無形文化財

県指定天然記念物

市指定史跡

登録有形文化財