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歴史を旅する/鴨川寺社巡り
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![]() | 日蓮聖人(1222〜1282) | ![]() |
日蓮聖人は、貞応元年(1222年)に小湊で生まれました。聖人は、12歳で出家して清澄寺にて仏道を修め、16歳で師について出家得度して鎌倉や比叡山などに遊学し、数多くの経典や書物を学びました。32歳で再び清澄寺へ戻り、日蓮宗を開き、法華経の教えを全国津々浦々に広めました。生死をさまよう程の迫害に遭いながらも、個人の救済だけでなく、社会や国家全体の救済を説いた聖人は、日本の宗教史上最も偉大な人物のひとりです。 |


小松原山 鏡忍寺(きょうにんじ)
小松原の法難において日蓮聖人を身を挺して守り討死にした鏡忍坊らを供養するために建立された歴史ある寺です。降神の槙に代表される豊かな緑と重厚な佇まいが特徴的。文化財も多数点在しています。
両親閣 妙蓮寺(みょうれんじ)
日蓮聖人のご両親、聖父妙日尊儀、聖母妙蓮尊尼の御廟所です。祖師堂には聖人とご両親の親子三体のご尊像が安置されています。大孝根本(たいこうこんぽん)の霊跡といわれる親孝行のお寺です。
花房山 蓮華寺(れんげじ)
祈念によって母を蘇生させた日蓮聖人は、蓮華寺にて師・道善房との再会を果たします。その後しばらくは、この寺にて布教活動を行いました。
千光山 清澄寺(せいちょうじ)
日蓮聖人が12歳で仏門をたたかれ、16歳で出家得度され、32歳で初めて南無妙法蓮華経と唱えられた立教開宗の霊場。修行中の聖人が「智者に」と願をかけられた虚空蔵菩薩が安置されています。
岩高山 日蓮寺(にちれんじ)
小松原の法難で地頭に襲われた日蓮聖人が刃傷を受け大怪我をした際に、岩高山の窟の岩砂を削り、血止めに使用したという伝承が残る寺です。そのため剣難除けの神様として親しまれています。

1222年、日蓮聖人は貧しい漁師の子として生まれました。その時、世にも不思議なことが起こったのです。ここでは聖人誕生の「三奇瑞」についてお話いたしましょう。

誕生水
日蓮聖人が産声を上げた時、突然、家の庭先から清らかな清水が湧き出しました。現在は、誕生寺境内の一角に清水を祀った誕生水の石柱を見ることができます。
蓮華ヶ渕
近くの砂浜では、ときならぬ蓮華の花が海辺一帯に咲き誇りました。以来、この砂浜は「蓮華ヶ渕」と呼ばれ、蓮華の花のように美しく輝く砂を「五色砂」と呼んでいます。
鯛の出現
日蓮聖人の誕生を祝福するかのように、海面近くにマダイが群れをなして現れました。この一帯に生息する鯛は、日蓮聖人の化身、分身として尊信され禁漁が守られています。
日蓮聖人が産声を上げた時、突然、家の庭先から清らかな清水が湧き出しました。現在は、誕生寺境内の一角に清水を祀った誕生水の石柱を見ることができます。
蓮華ヶ渕
近くの砂浜では、ときならぬ蓮華の花が海辺一帯に咲き誇りました。以来、この砂浜は「蓮華ヶ渕」と呼ばれ、蓮華の花のように美しく輝く砂を「五色砂」と呼んでいます。
鯛の出現
日蓮聖人の誕生を祝福するかのように、海面近くにマダイが群れをなして現れました。この一帯に生息する鯛は、日蓮聖人の化身、分身として尊信され禁漁が守られています。
鯛の浦遊覧船

歴史クイズで鴨川を散策「鴨川歴史の小径」

「鴨川歴史の小径」ウェブサイトでは、7コース81ヶ所の史跡の1つ1つについてクイズを出題。散策の折りの予備知識として、またちょっとした寄り道感覚でクイズを楽しんでみてはいかがでしょうか。
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